『フランチェスコ 原題:FRANCESCO)』(1989)
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【スタッフ・キャスト】
監督・脚本:リリアーナ・カヴァーニ
脚本:ロベルタ・マッツォーニ
撮影:ジュゼッペ・ランチ
編集:ガブリエラ・クリスティアーニ
美術・衣裳:ダニーロ・ドナーティ
音楽:ヴァンゲリス 製作:イタリア
出演者:ミッキー・ローク(フランチェスコ)
ヘレナ・ボナム=カーター(キアラ)
パオロ・ボナチェッリ(フランチェスコの父)
アンドレア・フェレオル(フランチェスコの母)
ハンス・ジシュラー(インノケンティウス3世)
マリオ・アドルフ(ウゴリーノ枢機卿)
【解説】
『愛の嵐』のリリアーナ・カヴァーニ監督が、中世イタリアに実在した聖人フランチェスコの人間像に迫る歴史ドラマです。
裕福な家庭に生まれ騎士を夢見ていた青年が信仰に目覚め、修道会を創設しさまざまな試練に苦悩しながらも、真理を求め続ける様子を描き出しています。
ストイックなフランチェスコに『シン・シティ』のミッキー・ローク、彼を崇拝する聖キアラ(クララ)役を『鳩の翼』のヘレナ・ボナム=カーターが好演しています。
聖人の内面に迫る重厚な映像美がさえています。
宗教映画の形をとっていますが、主人公に影響されついて行く人間が増えていくに従い、純粋な信仰によって、俗世にまみれた人間の欲望や醜さが露わになっていく様子がシニカルに描かれています。
私がイエス・キリストに出会い、とても惹かれながらも、キリスト教というものが今一つ信じ切れませんでした。
その理由の一つが、イエス様の言葉に従っているようにはとても見えなかったカトリック(ローマ教会)の黒歴史(免罪符の発行、十字軍の遠征、魔女狩り、異端審問、地動説学者への弾圧、他宗教への非寛容さ等々)ゆえです。
その片鱗が本作でも見えており、イエス・キリスト推しとして辛いものがあります。
私が今の生き方を決めたのは14歳の時で、今も基本的にはその当時と変わってはいないつもりです。
その頃思っていたのは、自分は何もせず、他人を偽善者と決めつけ、俺は善人なんて言っていないと嘯き偽悪者ぶる次兄が、「偽りの悪」だから善人だろうと言っているように聞こえ納得できず、自分は積極的に良いことをしよう、でも自分のことを善人だと思うのは傲慢なので、自分のことを偽善者だと自覚して良いことをすれば偽善者ではない「偽・偽善者」になる、そうだ「偽・偽善者」になろうということでした。
そのころクリスチャン作家の遠藤周作の『おバカさん』を読んで泣き虫の主人公はまるで自分だと思いました。
そして、その作品が、イエス・キリストがもし現代の日本に現れたらと想像して書いた小説とあとがきで知ってから、母の持っていた遠藤周作や曽野綾子の小説やエッセイを読み漁り、イエス・キリストにシンパシーを持つようになり、「自称クリスチャン」、「なんちゃってクリスチャン」と言うようになりました。
本当のクリスチャンかどうかを決めるのは自分ではなく、最終的にはイエス様であり、最後の審判の日までわからないと思っているからです。
神は完全ですが人間は不完全であり、不完全な人間の集合体である教会という組織も不完全で当然です。
そんなカトリックを批判し、プロテスタントが生まれ、ローマ教会も反省し、変化の兆しが見えてきました。
人間は生まれ変わることが出来るというのも、イエス・キリストの言葉です。
カトリックを悪と決め付け裁いていた自分もまたイエス・キリストの言葉に忠実ではなく、非寛容であったと反省しました。
もっと心をやわらかく保ちつつ、でも油断せず、自分や周囲、現実を直視していけば、これまでと違う真実が見えてくるということが描かれている映画だと思います。
最後に、外国映画では字幕の文字数に制限があり、最適の翻訳ではないということを理解しておく必要がありますし、言葉は近似値にすぎないことをご承知おき願います。
またキリスト教の映画やドキュメンタリー的な映画といえども、興行成績を意識した演出や表現方法がとられた娯楽作品でもありますので、それを事実として鵜呑みにするのは甚だ危険なことであり、あくまでもフィクションとして理解した上で、製作当時の時代背景や雰囲気を知るうえで参考になる、その程度の認識で受け取られるのが宜しいかと思います。
それでは、本編をお楽しみください。(By長尾真紀)
【ストーリー】(ネタバレ注意)
荒涼とした山の上でフランチェスコ(ミッキー・ローク)のことを、彼の最大の崇拝者であるキアラ(ヘレナ・ボナム・カーター)と弟子たちは回想し始める。
フランチェスコはペルシアとの戦いで捕虜になり、屈辱を味わい、戦争の愚かさを知る。
そこで会った死刑囚からイエス・キリストの福音書を手渡される。
今までの裕福な生活に甘えて生きてきたことを恥じ、両親と別れ、難民たちの中で暮す。
彼はそこのハンセン病療養所で私財を投げうって奉仕活動をしながら、聖ダミアーノ教会で布教活動を進める。
彼の行動は上流階級の人々を戸惑わせたが、中には共感する者も現れる。
こうして彼の運動は広がっていくが、衝突も起き、異端扱いされるようにもなった。
フランチェスコはこの行動を続けるために、ローマ法王に会いに行く。
初めのうちは冷やかだった法王も、運動の大きさに無視できなくなる。
しかし、修道会の中にはフランチェスコに疑問を持ち、彼を非難する者もいる。
悩んだフランチェスコは山にこもり、本物の悟りを神に請う。
そして、ある時突然、彼の体には、キリストがゴルゴダの丘で処刑された時に受けた傷と同じものが現れる。
彼は天を仰ぎ神に感謝する。
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日本語の予告編(Japan)
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